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Been There! Anne Frank's House in Amsterdam


Anne Frank's House in Amsterdam

アムステルダムへ旅をする機会があれば、アンネフランクの家へ訪問してみたいと思っていた。朝一番に並んでも大変混雑すると聞いていたので、オンラインでチケットを予約することにした。

アンネフランクのウエブサイトからチケットを購入するとき、その日のウエブサイトの混雑状況や、クレジットカードの相性によってとてもつながりにくい。なかなか購入できなくて、直接カスタマーサービスにメールを書いた。

ヨーロッパ以外からのクレジットカード予約はつながりにくいから、時間を置いてから試してみて。それでも駄目ならもう一度メールしてください。とすぐにお返事をいただいた。それから数回メール往復をすることになって、祖父の話をすることになった。

祖父は第二次世界大戦中、広島の近くで海軍として勤めていた。原爆が落ちたときは広島から少し離れたところにいたが、”広島が大変なことになった”と聞いて、広島へ向かったらしい。火傷をした人々、顔が真っ黒になって女性だか男性だかわからない身なりをしている人、妊婦さんを助けて、祖父もだんだん真っ黒になってきた。その時、ぜんぜん知らないおばあさんが、一枚のタオルをくれた。そのタオルがとても白くみえて、大変ありがたかった、と祖父は言っていた。

世界中からいろいろな思いを持ってアンネの家へ訪問してくれます。みんなの共通する願いは平和ですとメールには書いてあった。1週間後、3枚違うクレジットカードを試して、ようやくオンライン予約ができた。

アンネフランクの家は、博物館と隣同士になっていて、正面からみると現代的に見える。しかし、本棚の裏、急な細い階段をあがって隠れ家へ入ると、アンネがポストカードなどを貼った壁紙はそのまま、古いキッチン、きしむ床、お手洗い(お便器にオランダらしい青い模様が入っていてとてもきれい)はそのままにされている。

アンネは日記やショートストーリーを、一緒に隠れている家族達に毎晩発表するのが日課だった。そのとき第二次世界大戦を生き延びたら、日記やストーリーが出版されるかもというアイデアをもらって、希望を持って書き続けていた。

もっとも印象的だったのは、アンネの父親のビデオドキュメンタリーだった。一人だけ生き残った父親は毎日、一生懸命働いて、家族のことを思い続けていると言っていた。戦後、アンネフランクが象徴的な存在となって、日記やドキュメンタリーが出版され、隠れ家での生活は映画やミュージカルにもなった。世界中から父親は出版パーティーなどに招待されたが、いつも出席を断ったらしい。映画やミュージカル、フィクションの本は、芸術として素晴らしいし、アンネの経験を広めてくれることは嬉しいが、舞台であっても同じ経験を二度としたくないからだ。

アンネの父親の気持ちを知ったとき、私の自分勝手な詩の創作に悲しくなった。私は祖父の第二次世界大戦の経験や、新聞などで読んだ東北大震災の記事をもとに詩を書いている。詩集は、発信すると意味を込めて"Radio Tower"として編集中である。平和な日常や大地震を忘れないためにも詩を書き続けるのが目標だった。他界した祖父は惜しみなく応援してくれたが、大震災を生き残った人が私の詩を読んだら、繰り返しやるせない気持ちになるかもしれないと思うと、とても心が痛い。

アンネの家では、屋根裏部屋の窓から見える新緑の絵葉書を買った。アンネはその窓から想像力を働かせて、希望を持って生活をしていたのかと思うと複雑な気持ちになるが、生き続ける勇気もわいてくる。絵葉書は額にいれてリビングルームに飾っている。









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